LOGINまたもや過激な発言をした母親を戒める兄の会話を聞きながらイアンはずっと考えた。まだ六年しか生きていないイアンには『愛』だの『恋』だの分からない。父親が彼女に恋し愛したが為に、母親を苦しめた、という事実は母親を覚えていないイアンにとって自分に関係がない話のように聞こえてしまう。ただイアンがおもむろに思う事は、『愛』だの『恋』だというものは、大の大人が赤子のように泣きじゃくってしまうほど、人を弱くさせてしまうものなんだ、という認識だった。
赤ちゃんみたいに泣く姿を人前で見せたくはない──だから、恋なんてしなくて良い。 でも──もし、『恋』をしたなら。父上みたいに泣かないで済む方法は、(カンキン、っていうのをしたら良いのかな)
どういうものか、分からないけど──……。『すきなひと』を監禁したら、きっと泣かないで済むんだ。世間一般的に間違った考えに辿り着いたイアンだったが、目の前に置かれたケーキのお陰でイアンの頭の隅に追いやられた。フォークを手に取って一口目を口に放り込む。口の中に甘い美味しさが広がって笑顔が浮かぶ。それを隣で見たロイドは自分のケーキ皿をイアンに寄せた。
一つ目のケーキを食べ終えて「ありがとう、兄上」とイアンはロイドに礼を言った。瞳を輝かせているイアンを見てロイドは口元を綻ばせた。 そうしているとイアンは目の前の視線に気付く。顔を上げるとジェシカが自分を見ていた。「……?」
首を傾げたイアンを見てジェシカは「イアンは母親似ね」と微笑んだ。母の顔を知らないイアンはフォークを置いて、自分の頬を擦った。
「本当に優しい子だったのよ。
イアンの問いに驚いたように一瞬だけ目が見開いたが「えぇ」と目が細くなる。その目に嘘はない。
「あの頃
「守れなくてごめんなさいね」とジェシカの言葉にイアンは激しく首を横に振った。イアンにとって顔を知らない本当の母親よりも血が繋がっていない王妃が彼にとって母だ。だから彼女が辛そうにしていると胸が痛くなるのだ。
そうしていたら、急にジェシカが何かを思い出したのか不機嫌そうに眉間に皺を寄せて「私は言ったのよ、本当に好きなら手を離しては駄目って」
何の話か分からずにイアンは首を傾げた。隣に座るロイドの表情を見て、さっきの「監禁」発言の続きだと気付く。
「意気地なしよね。大国一の男が一人の愛する女を手元に置く事が出来なかったのよ。身分が低い云々なんて、私の実家の養女にすれば問題は解決したわ。この国で王家の次に身分が高いんだから。そして陛下はこの国の長なんだから、家臣やお義母様が反対しようが、彼らの言葉なんて退ければ良かったのよ、まして正室の私が反対していないんだから。それに私の発言より陛下の言葉の方に強みがある。それを彼はしなかった。あの二人が結婚したって誰も傷つかないのに、何を恐れていたのかしら。あの人はやる事やって孕ませる事は出来たというのに、肝心な所で弱腰になったの。重圧に負け、泣き言を言う彼女に寄り添って『俺が守る』と言えば良かったの。弱っている彼女を守り抜く事が出来ずに肝心な所で駄目だった。逃げられて、自分の知らないうちに感染病で亡くしてしまうのよ。ちゃんと監禁出来ていたら、あなたの母親は生きていたわ」
「母上。愛しているからといって監禁して良い筈ありません」 「本当にロイドは頭が固いわね」 「これは頭が固い云々の話ではなく、人間として言っているんです」 「安心なさい。私は息子の愛した女性が庶民でも反対しないわ。私の家の養女にして解決してあげる」(孕ませる……?)
兄の表情を見れば良い言葉じゃない事くらいは分かる。
ジェシカは落ち着いたのか長い息を吐いた。彼女の目は遠くを見ていて重い空気が流れる。 重い空気を壊す為にロイドは決意を口にした。※「──オリヴィア様、ただいま帰りました!」 元気な声と共にアンが部屋に入ってくる。そして、部屋の中の惨状を見て目を丸くした。床に大量の本が散らばっていて、足の踏み場がない。 散らばった本の中、床に座り込んだオリヴィアに不安そうに近付くと、突然立ち上がってクルリと振り向いた彼女の瞳は決意に満ちていてアンは面食らってしまう。「決めたわ」「離婚ですか!?」 嬉しそうなアンをジトリと睨んでからオリヴィアは咳払いをした。「幼児化した呪いを解いてもらう! まずはお家を出て行きましょう」「出て行くのはやめましょうよ」「えいえいおー!」と拳を振り上げていたら、アンから反対の声が上がってオリヴィアはよろけた。イアンと離婚して欲しいと願っているアンが、家を出て行く事を反対するとは思ってもいなくて目を剥いて驚いてしまう。「邸と使用人達は慰謝料として残してもらいましょうよ。皆さん、素晴らしい人達ですし。オリヴィア様はここで平和に過ごすのが一番です。お嬢様が出て行く必要ありません」「アンはターニャが苦手じゃなかったの?」 むしろ、嫌っていると思っていた。あんなに毎日叱られているのだ……と言ってもアンが言う通りにしないからである。「メイド長は口うるさい方ですが、正当な理由なく叱る方ではありません。それに必ず後でちゃんとフォローして下さるんです。不慣れな私にしっかりメイドの仕事を教えて下さったし、元騎士だからと言って贔屓もされませんでした。それから他の使用人達は気さくで良い人たちです。初見で怖がられる私ですが、みんな外見ではなく中身を見てくれます。みんなが常にオリヴィア様の為に動いてくれます。そんな彼らから離れるのは得策だと思えません」「アンはグゥイン公爵家の邸は居心地良い?」「あの男は嫌いですが、ここの人達は嫌いじゃありませんので」 きっぱりと言い切ったアンを見て、オリヴィアは口元に笑みを浮かべた。「アンも、ここを自分の家だと思ってくれていたのね……」 じんと熱
『笑うと笑窪が出来るのよ。オリヴィアと同じ場所にね』『いつも花の香がするヒトだったの』 父を語る母の表情は、恋する乙女そのものだった。私がイアンを想う表情と同じで。 『──どうして、おとうさまはあいにこないの? さびしくないの?』 寂しそうに微笑んだ表情は見逃してしまうほど一瞬のものだった。『貴女を生んで良かった。オリヴィアを通して愛する人に会えるもの……だから寂しくないわ』 温かい目で慈しみに溢れ、私の額にキスを落とす。唇は熱く、愛されている事が唇から全身に伝わる。『愛してるわ』 その言葉は、私を通して正体不明の父親に伝えていたのね──……。「必死になって隠した母親の秘密を貴女はみんなにバレて良いというの?」(そんなわけないじゃない)「親不孝ね」「バレていい、なんて言ってないわ」 ──私の事はバレたって良い。でも、お母様は違う。 身体を張って私を守り、秘密を守ったのに──お母様の想いを踏み躙るわけにはいかない。(もし、叔母様が知ったら) 叔母様に会うとお母様との幼い頃の思い出を語ってくれる。その碧い瞳を見ているとお母様と同じ顔をしているから、余計お母様を思い出してしまって思わず涙ぐむ、それを見て「困った子ね」と微笑んで涙を拭ってくれるの。それから私の頭を撫でてくれる。最後に私の額にキスをしてくれる──お母様からされたように。(叔父様にも知られる訳にはいかない) 私がイアンの元でちゃんと過ごせているか心配して頻繁に会いに来てくれるしお茶会にも呼んでくれて。会う度にお母様が幼い頃の話をしてくれる。叔母様とは違う視点で語るものだから、同じ話なのに結末が違っていて面白い。別れの時に、額にキスをしてくれる──お母様からされたように。 (そして……顔も名前も知らないお父様にも知られてはいけない──この三人に秘密を知られたくなかっただろうから) 「イアンとア
「……白髪。地獄に堕ちるのは貴女よ」 懐かしいあだ名で呼ばれる。 クツクツとした笑い声が徐々に大きくなっていく。腹を抱えて笑うミシェルにオリヴィアは眉を顰めた。「あー、おかしい」 笑い過ぎて出た涙を指先で掬ってから、訝し気にこちらを見上げるオリヴィアにミシェルは意地悪く笑みを深めた。「あんただけの記録とは言っていないわ。あんたの母親の記録もあるの」「なんですって……?」 無邪気な笑いを浮かべるミシェルとは逆にオリヴィアの表情は消えていった。「私のお母様は第四側室として嫁いだけど、その前からお父様とは顔見知りだったの。お母様は媚薬や薬品を皇宮へ流していたから。その時、この水晶玉をお父様に贈ったわ。お父様は悩んでいたわ。スェミス大国から嫁いできたあんたの母親が自分に靡かなかったから。国に帰りたい、と故郷のお姉様に一筆書こうとしていたくらいよ。プライドだけは高いお父様にとって許せる事ではないわよね。だから、あんたの母親と初夜の晩から毎晩のセックスを記録して脅したのよ。『逃げようとか離縁を考えたりすれば、お前の家族に見せる』 って、ね。それを恐れて従順になったらしいわ」「…………」「お母様もずっとこれであんたの母親を脅していたわ。誰にも見せたくなくて何でも言う事をきくって面白がってた」 言葉を発せずにいるオリヴィアを見てミシェルは歓喜した。オリヴィアが幼い頃から大嫌いだった。でも、彼女の絶望に満ちた表情を見ると加虐心が刺激されて心地良い。大嫌いで、でも苦痛に満ちた表情は大好きで……真逆な感情が混ざり合い、歪な感情となって身体中を駆け巡った。「あんたの母親の最期も残っているわ」 ミシェルは口角を釣り上げる。「ぶっさいくな死に顔が映ってるわ!」「──殺してやる!」 オリヴィアは咆哮した。 怒りに任せて声を荒げ暴言を吐いたのは人生で初めてだった
「これは記録魔法よ」「どうして、そんなものを……そこまで私の事が嫌いなの?」「大嫌いよ」「……私が何をしたの」 血は繋がっていない姉妹達はオリヴィアを苛める事を楽しんでいた。その中でミシェルからの体罰が一番酷かったように思う。髪を引っ張り、鋏で髪を切り、馬乗りになって頬を殴る。それを姉三人は愉快に笑った。オリヴィアは彼女達の機嫌を損なわないように息を潜めて過ごしていたのに、関係なく暇があればオリヴィアを呼び出して笑いものにして彼女の心を痛めつけた。姉達が他所へ嫁いで行ってミシェルだけ残ったが、暴力はエスカレートした。鞭で背中を痛めつけるようになった。『目が気に入らない』『髪が目障り』『服の色が気に入らない』 理由はなんでも良かったのだろう。オリヴィアをただ痛めつけられたら、何でも良かったのだ。頭を踏みつけられ、汚れた床を舐めて綺麗にしろと命令された事だってある。一度拒否すれば、鞭で散々痛めつけられた。可愛らしい顔に加虐に満ちた笑みを浮かべ、鞭を何度も何度も何度も振り下ろす。 オリヴィアはブルっと大きく身震いをした。 六歳になったオリヴィアの背中は真っ新で染み一つもないのに、思い出したせいで鞭で打たれた後のようにジンジンと疼いたように痛みだした。俯き震えているオリヴィアを見て、ミシェルはさも愉快そうだった。「あんたの存在そのものが嫌なの。私より先に生まれたことも気に入らない。どこの種馬の子供かも分からないのに皇女って呼ばれるのが気に入らない」(そんなに嫌いなら、放っておいたら良かったのに) そっちが勝手に絡んできたんじゃない――……。 お母様は盾になって私を守ってくれた。結果……殺されてしまったけど、お母様が亡くなって私を守る盾がなくなったなら捨て置いてくれたら良かったのに。(あぁ……でも、そうなっていたら私はイアンと再会できなかったのね)「でも、歳を取ったらあんたの瞳は嫌いじゃなくなったわ。むしろ今は好
「スェミス大国を滅ぼすの」「──はぁ?」 あまりにも突拍子過ぎて間抜けな声が出てしまう。裸でふんぞり返るミシェルが憐れに見えてきた。「お母様を殺した事は恨んではいないわ。でも私の心臓に剣を刺したグゥインを私は一生許さない」「でも、貴女は生きているわ」「身代わりを立てたの。首を刎ねられる寸前にね。でも刺されはしたから完治するまでだいぶ時間がかかったわ」 その身代わりが誰かは恐らく彼女の周りに居たとりまきの一人だろう。私が彼女に痛めつけられている姿をただ傍観していた人たちだから可哀想だという感情は湧かなかったが。「私がこの国を乗っ取る為にまず邪魔なのはグゥインよ。それ以外はどうにかなる」「その自信はどこから来るの? イアンだけがスェミスを防衛している訳じゃないのよ」「私には協力者がいるの」「──協力者?」(ミシェルに協力者──? 他にも生き残りが居るの?) 旧帝国の皇族と皇帝派もろとも処刑され生き残りはいないと聞いていたのに。(イアンに言わなきゃ) 服をアンから用意して貰ったら、すぐに出掛けよう。アンが説明すればこの姿でも問題ないだろうし。 そう考えあぐねていると、頭上からミシェルに話しかけられた。「まぁ良いわ。グゥインを殺せなかったけど、呪いが失敗した訳じゃないから。呪いが失敗すれば術者に返ってくる。でも私には返ってきていない。だから呪い自体は発動している筈なのよ。なのに、あの男は死んでいない……何かがおかしいわ。今後どう作用するかは私にも分からない。お姉様と顔を合わせた時に何か起きるかもしれないわね」 自分の考えが読まれて分かり易く表情を崩してしまう。その様子にミシェルはニタリと笑った。「赤髪を使って伝えてもらうのも無駄よ。余計な事はしない事ね。もし、計画が漏れるような事があれば、あんたの秘密をバラすから」 幽体姿のミシェルは水晶玉を取り出した。彼女がブツブツと呪文を唱えると、パァッと水晶玉が光に包まれる。それから玉の中が揺らぎ、人影の
「顔をあげなさい、このクズが」 可愛らしい声と容姿なのに、いつもあの子は毒を吐く。細い綺麗な指で私の頬を殴り、鞭を持ち、振り上げる。細い脚で頭を踏みつけ、コロコロと可愛らしい声で笑う──。「聞こえていないの?」 枕を抱き締めたまま爪先からやっとの事で視線を上げて姿を瞳に映し出すと綺麗な顔を歪めて立つ妹──ミシェルが裸で立っていた。 十三歳で亡くなった筈のミシェルは成長した姿だった。妖艶に笑う彼女からは昔の幼さは消えている。ウェーブがかった栗色の髪をかき上げてるのをオリヴィアは呆然と見た。言葉を発そうにも震えて出てこない。彼女にされた仕打ちは、そう簡単に忘れられないのだから。(死んだ、って聞かされたのに、どうして目の前にいるの……?) 考えても答えが出なかった。 寝台の上で後退れば彼女もまた一歩近付いてくる。「夢──」「にしては生々しいわね」 顔がグイっと近付いてきて、碧い瞳がスゥっと細くなる。それから右手が上げられて条件反射でオリヴィアは目を閉じた──ら、痛みはいつまで経ってもなくて、馬鹿にされたように笑われた。「いつまで経ってもビビりね」 クスクス笑いながら言われ、反論出来ない。「ど、どうして生きているの……?」「ハッ。そんな事どうでも良いのよオリヴィア。それは私の台詞なの──どうしてあの男はまだ生きてるの?」「あの男……?」 忌々しそうに訊ねたミシェルにそう聞き返せば、「イアン・ジョー・グゥインよ」「イアンに何したの!?」 ニィ、と口角が上がる。昔と変わらないその表情に吐き気がした。「お姉様とグゥインが婚約をした時、呪いをかけたの」 お姉様、なんて今まで言った事がないのにわざとらしい──。「そんな事ができるの?」「えぇ。私魔女だから」(魔女?) 魔女が存在する事は聞いた事がある。しかし彼